Q&A(よくある質問)2
ひきつづき、よくある質問にお答えします。
伝道について
Q 「お寺で行われる法要や法事、勤行などにはどのような意味があるのですか?」
お寺で法要などが行われているのを見たことがあります。法要・法事・勤行にはどのような意味があるのですか?
A阿弥陀仏の本願を褒め称えるという意味があります。これを仏徳讃嘆(ぶっとくさんだん)ともいい、阿弥陀仏の徳の素晴らしさを称えるということです。
たとえば法要や法事、勤行などでは読経が行われます。読経される経典や聖教の意味を調べると分かりますが、それらは全て阿弥陀仏の徳を褒め称える内容となっています。獲信者にとっては阿弥陀仏のご恩を思い返すご縁となり、初心者にとっては浄土真宗の教えに親しむ機会となります。
Q 「多数の団体が浄土真宗を伝えていますが、それらの活動の目的は何ですか?」
西本願寺・東本願寺が特に有名ですが、浄土真宗を伝える団体がいくつもありますよね。それらの活動の目的は何ですか?
Q 「浄土真宗の僧侶の役割は何なのでしょうか?」
私たちを救うのは全て阿弥陀仏の力によるものだ、と聞いたことがあります。全て阿弥陀仏の力によるのであれば、浄土真宗の僧侶の役割は何なのでしょうか?
A阿弥陀仏のお徳を讃嘆し(素晴らしさを褒め称え)、ご縁のあった人々に対して阿弥陀仏に帰依しましょうとおすすめすることです。寺院で行われる法要・法事・勤行はすべて、仏徳讃嘆となります。
ただし、自分が帰依していないのに他の人に帰依することをすすめるのは本末転倒です。僧侶自身が阿弥陀仏に帰依していること(疑蓋が外されたこと)が本来の姿であると言えるでしょう。
僧侶と言っても凡夫であり、1人の聞法者であることに変わりはありません。僧侶か俗人かに関わらず、未信の人に対しては、まずは阿弥陀仏の本願を正確に聞くことをおすすめします。
Q 「浄土真宗の僧侶は全て獲信しているのでしょうか?」
浄土真宗の僧侶であれば、全員が獲信していると考えてよいのでしょうか?
Aそうとは断言できません。たとえ未信の人であっても、教団が定めた合宿などに参加すれば、真宗の僧侶資格を取得するのは可能だからです。
また現代においては、教団が巨大化してしまったという理由もあります。西本願寺だけでも約10,000ヶ寺、浄土真宗全体であれば20,000以上の寺院があります。当然、僧侶の数も大変多いです。寺院の長男などがその寺を継ぐため、未信のまま僧侶の資格を取得してしまい、住職になってから自分が未信であることに悩む場合もあります。実際、筆者に向かって「自分は他力信心のことが分かっていない」と告白する僧侶たちもいます。
さらにまた、浄土真宗の教えは誤解されることも多く、親鸞聖人の時代から間違った解釈をする人がいました。現在でも新たな異安心が発生する可能性はありますし、獲信者が輩出されなくなった寺院では教えが形骸化している場合もあるでしょう。
ただし2018年現在、インターネットの普及に伴って、正しい他力信心の定義が広まりつつあることも事実です。他力信心の定義は「仏願の生起本末を聞いて疑いが無い」というものです。このままいけば、異安心を主張している人たちも間違いに気付いていくと考えられます。
僧侶と信者が協力しながら、聴聞する機会や信心の沙汰ができる空間を増やしていくのが理想です。
以前は寺院や信者の家などに集まらないと、聴聞や信心の沙汰をすることはできませんでした。しかしインターネットが発達した今、ホームページや電子メール、またインターネット電話(ビデオ通話)を使うことで、これらは格段にやりやすくなるでしょう。
疑蓋が外された人にはぜひ、インターネットを活用して仏徳讃嘆の場を作ることに挑戦していただきたいと思います。
ここまで読んでくださった方へ
Q&Aのページはここまでです。
最後に、もう1つページを用意しています。それは「このサイトに書いてあることは、聖典(浄土真宗の教えを記した書物)のどこにあるの?」ということを説明したページです。
これまでお伝えしてきた内容は、あくまでも浄土真宗のスタンダードな教えです。親鸞聖人や蓮如上人をはじめ、浄土真宗の教えを確立してくださった方々のお示しと、同じ内容なのです。
そのことを確認したい人のために、次ページで根拠となる文章を紹介いたします。