どこに書いてあるの?(根拠)

このサイトの内容について、聖典(浄土真宗の教えを記した書物)のどこに書いてあるのか? を説明します。

仏教用語が多くてちょっと難かしいかもしれませんが、他力の教えを伝える大切なお言葉です。じっくり味わっていただきたいと思います。

 

疑蓋について

Q 「疑蓋の根拠」

本願疑惑心(疑蓋)が除去されないといけないというのは、どこに書いてあるのですか?

A親鸞聖人は、

きくというは本願をききて疑う心なきを聞といふなり、またきくというは信心をあらわす御法なり。『一念多念証文』

と、明記しておられます。これは阿弥陀仏の本願を疑い無く聞けるのが他力信心である、ということです。

おなじみの正信偈にも、

生死輪転の家に還来することは、決するに疑情をもって所止と為す『正信偈』

とあります。これは本願に対する疑いが迷いの原因である、という意味です。

また親鸞聖人は他力信心について、

信楽というは、すなわちこれ如来の満足大悲円融無碍の信心海なり。このゆえに疑蓋間雑あることなし。ゆえに信楽と名づく『教行信証』信巻)

と説明しておられます。他力信心には疑蓋が無いのだ、ということです。

 

この疑蓋(疑いのフタ)という言葉は、本願疑惑心の性質を的確に表現してあるため、昔から浄土真宗においてよく使われてきました。より詳しく知りたい方は、こちらのページも参考になります。→疑蓋 – WikiArc

 

以上からいえるのは、「本願疑惑心(疑蓋)が無いこと」が他力信心の特徴だということです。

 

 

最後まで読んでくださった方へ

以上でこのウェブサイトの内容は終わりです。

浄土真宗の教えは、一見するとカンタンなように思えますが、ある意味ではこれほど難しいものもありません。

たとえば妙好人の中には浄土真宗の真髄が分からずに、20年以上も悩んだ人がいます。なぜそんなに難しいかというと、他力信心は自分の力で得られるものではないからです。

また逆のケースもあります。たいへん少数ですが、きわめて短い期間で、他力によって疑いの蓋を取られてしまう人も存在するのです。

そんな不思議な世界が、阿弥陀仏の救い。獲信した人は、死後に対する不安が解決されます。「いつ死んでも大丈夫」といえる世界に入るということです。それは大きな安心に包まれた世界なのです。

興味を持たれた方には、ぜひ浄土真宗の教えを聴聞していただきたいと思います。

 

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