第7章 仏願の生起・本末を聞く

この章では仏願の生起・本末について説明します。

まず注意すべき点として「獲信したい病」についてお伝えします。

そして本題である仏願の生起本末を、教義と実践に分けて解説していきます。

(※浄土真宗の教えを聞く人にとって、このページの内容はとても大切になってきます。読んだだけで終わるのではなく、書いてある内容を実践してください)

 

7-1 獲信したい病

説明に入る前に、1つ注意点があります。浄土真宗の教えに興味を持った人が「獲信したい病」にかかる場合があるのです。

これは何かというと、妙好人などの獲信者にあこがれて「私も獲信したい。獲信するために努力しよう」と考えてしまうことです。この考えは、一見すると何も問題ないように思えます。ですが実は大きな間違いがあるのです。

というのも、獲信するということは「疑蓋が外される」ということです。つまり阿弥陀仏の本願に対する疑いが除去されることです。そして疑蓋を外すのはあくまでも阿弥陀仏の仕事です。

しかし「がんばって獲信しよう」という人は、自分の力によって獲信しようとしているわけです。くり返しますが、自力で獲信はできません。あくまでも他力(阿弥陀仏の力)によるものなのです。

ですから、もしあなたが「獲信したい、努力して獲信しよう」と考えているとしたら、その考えは捨ててください。浄土真宗においては、主人公はあなたではありません。

そうではなくて、主人公は阿弥陀仏です。「阿弥陀仏がいかにあなたを成仏させるのか?」を聞いていく教えなのです。あなたを救いたくて仕方がない仏さまがおられる、だからその仏さまのお話を聞きましょう、というのが浄土真宗の教えだということです。

ただ、次のように考える人もいるでしょう。「獲信に自分の努力が通用しないのなら、何もしなくてもよいのか?」と。

やるべきことはあります。それが今から説明する「仏願の生起本末を聞く」ということなのです。

 

7-2 仏願の生起生起を聞く(教義)

ではいよいよ仏願の生起本末を聞いていきます。最初は教えの内容(教義)をつかみましょう。

 

仏願の生起(教義)

まず仏願の生起ですが、これは分かりやすく言えば「阿弥陀仏の本願が建てられた理由」、つまり「なぜ法蔵菩薩はあなたを救おうと決めたのか」「なぜ南無阿弥陀仏が作られたのか」ということです。

あなたのどの部分を見て、法蔵菩薩はあなたを救おうと決めたのでしょうか?

(阿弥陀仏はあなたのどんな部分を救うと誓っているのか?)

 

もしもあなたが自分の力で成仏できるのであれば、阿弥陀仏の本願も南無阿弥陀仏も必要ありませんでした。あなたがお釈迦様のように自分の力で仏に成ることができたならば、法蔵菩薩はあなたを救おうと決心する必要は無かったわけです。

しかし自力では成仏できず、迷いの世界を離れることができない存在・・・それを救うために本願を建てられたのが、法蔵菩薩だったのです。

では具体的には、あなたのどの部分を見て、法蔵菩薩は本願を建てようと決めたのか?

それはあなたの罪悪です。なぜなら罪悪を犯す者は、来世に苦しい世界に生まれることになるから。私たちは罪悪をやめることができないために、ずっと苦界を迷い続けているわけです(六道輪廻)。

ここで何が罪になるのか、十悪・五逆・謗法について、再掲しておきます。

十悪とは・・・体・口・心で起こしてしまう罪悪です。仏教用語なのでむずかしい言葉に見えますが、その中身は私たちが思い当たるものばかりです。

殺生(せっしょう)・・・生き物を殺す。
偸盗(ちゅうとう)・・・人の物を盗むこと。泥棒やスリ、強盗。
邪婬(じゃいん)・・・・配偶者ではない人と性的な関係を持つ 。
妄語(もうご)・・・・・嘘をつくこと。
両舌(りょうぜつ)・・・仲たがいをさせる言葉。二枚舌。
悪口(あっこう)・・・・人を傷つける言葉。
綺語(きご)・・・・・・誠実でない言葉。おべんちゃら。
貪欲(とんよく)・・・・とても欲深いこと。我欲。
瞋恚(しんに)・・・・・怒りの心。
邪見(じゃけん)・・・・因果の道理が分からないこと。恨み嫉むこと。

(ちなみに、これらを犯さないことを十善といいます)

 

さらに重い罪として、五逆罪謗法罪があります。
五逆罪は、以下の5つです。

殺父(せっぷ)・・・父を殺すこと。
殺母(せつも)・・・母を殺すこと。
殺阿羅漢(せつあらかん)・・・阿羅漢 (聖者) を殺すこと。
破和合僧(はわごうそう)・・・仏教の集まりの輪を乱すこと。
出仏身血(しゅつぶっしんけつ)・・・仏様の身体を傷つけて血を出させること。

謗法罪(ほうぼうざい)は、「仏教なんてでたらめな教えだ」と思い、また他人にもそう言いふらすことです。

 

 

阿弥陀仏の救いの対象

十悪などの罪悪を犯している人は、阿弥陀仏の救いの対象です。逆に、もしあなたが善人であっても、それもまた救いの対象です。あなたが自力で仏道修行をして悟らなくても、阿弥陀仏の本願によって成仏させていただけるということです。

ただし、自分が善人であることを発見した、という人はほとんどいません。仏教における善は厳しいもので、わずかでも見返りを期待する気持ちがあれば「雑毒の善(ぞうどくのぜん)」と呼ばれます。例えば人助けや寄付をしたとしても、相手から感謝されなかったら、何か物足りなかったり腹立たしく感じたとします。それは心のどこかで「感謝されたい」と見返りを求めているわけであり、見返りが無ければ怒りの心などを起こして、逆にさらなる罪を作ってしまう。これでは真実の善にはならないのです。そのため「阿弥陀仏の目から見たとしても自分は善人だ」と胸を張って言う人はほとんどいません。

むしろ、阿弥陀仏の視点に立って自分を観察していくと、数え切れないほどの煩悩や罪悪に気付く人が多いものです。

どちらにしてもまず確認すべき点は「あなたが自力で輪廻を抜けられるのかどうか(自力で成仏できるかどうか)」です。これを現実のあなたの姿を観察しながら、調べていきます。

他人からはあなたの心の中は分かりません。他人から見えないところであなたが何をしているのか、それも分かりません。世界中のどの本を開いても、あなたの姿は書いてありません。

阿弥陀仏の目から見れば、あなたはどのような姿なのか? あなた自身が自分で確認していく必要があるのです。

もしも自力で輪廻を抜けられない姿が見えてきたら、それこそが仏願の生起であり、南無阿弥陀仏が作られた理由なのです。

 

仏願の本末

ではここから、後半部分である仏願の本末を聞いていきましょう。

迷い続けているあなたを見た法蔵は、「煩悩まみれの衆生をも成仏させる」と決め、師である世自在王仏に助言を求めました。そして五劫もの長期間にわたり、救いの手段を考えました。あなたが持つ罪悪の1つ1つを点検し、どのような方法であればあなたを成仏させられるのか、ずっと考えてくださったのです。

そして救いの手段を考え出した法蔵は、48の誓願を起こされました。その中の根本となるのが18番目の願で、「南無阿弥陀仏を称えるものを極楽浄土に生まれさせ、仏に成らせる」というものです。

法蔵菩薩は願いを成就させるために、永遠ともいえる長い間、執着を離れた真実の心をもって仏道修行を続けました。

罪悪と煩悩を抱えた衆生を仏にするには、誰かが代わりに仏道修行をする必要があります。衆生の罪悪を打ち消すため、他の誰かが膨大な善を積む必要があるわけです。その役目を買って出たのが法蔵だったのです。

永遠ともいえる長期間にわたって功徳(善)を積み続けた法蔵は、ついに仏の悟りを開いて阿弥陀仏となりました。これが今から十劫もの昔に起きたことです。

法蔵が阿弥陀という仏になられたということは、救いが完成したことを意味します。つまり「南無阿弥陀仏を称えるものを極楽浄土に生まれさせ、仏に成らせる」という救いは完成しているのです。あなたが生まれるべき極楽浄土の建設も完了した、ということです。極楽浄土に生まれた者は、すぐに仏の悟りを開き、輪廻(迷いの世界)を離れることができます。そうやって仏に成った者は、ふたたび迷いの世界に戻ってきて、今度は苦しんでいる存在を自由に救えるようになる、と説かれています。

南無阿弥陀仏は凡夫をも成仏させる素晴らしいものなので、全ての仏が褒め称える、と説かれます。実際に、仏様となったお釈迦さまもそうしておられます。お釈迦さまの教えの中でいえば、南無阿弥陀仏の救いを褒め称えられているのが『仏説無量寿経(大無量寿経)』というお経です。

そして阿弥陀仏は、私たちに南無阿弥陀仏を称えさせようと働きかけておられます。

南無阿弥陀仏の教えは「お釈迦さま → 七高僧 → 親鸞聖人 → ・・・ → あなた」という順番で、事実としてあなたまで届いたのです。今あなたが称えている念仏にこそ、成仏する功徳がつまっているということです。

 

 

あなたを必ず仏にする

ここまでをまとめると、仏願の生起・本末とは以下のように、

生起=「阿弥陀仏に本願を起こさせたあなたの姿」
本末=「法蔵は仏道修行を完成させ、阿弥陀仏となった。つまり南無阿弥陀仏をとなえるあなたは、極楽浄土に生まれて仏になる」

ということになります。

法蔵はあなたが持つ罪悪の1つ1つを点検されました。なので日常生活において、自分の行ないや心の動きを観察します。「この自分の煩悩と罪悪のために、南無阿弥陀仏が作られたのだ」ということを、自分の身の上に確認していきます。輪廻を抜けられないあなたの代わりに、阿弥陀仏は数え切れないほど長い時間を仏道修行に費やし、ついに南無阿弥陀仏を完成してくださいました。阿弥陀仏の視点にしたがって、日常生活の中で1つ1つ、自分の行動と心の動きに、南無阿弥陀仏が作られた理由を見つけていきましょう。

そして、小声でもいいので「南無阿弥陀仏」ととなえてください。

となえましたか? 誰にも聞えないくらいの小さな声でつぶやくだけでもよいのです。

どんな悪人をも成仏させる力のある南無阿弥陀仏が、現に今あなたの口から出ていることを聞いてください。

 

 

7-3 仏願の生起本末を聞く(実践)

では教義が分かったところで、次は仏願の生起本末を具体的に聞いていきましょう。毎日の生活の中で、実践的に自分の身に、仏願の生起本末を当てはめていきます。

 

仏願の生起(実践)

くり返しになりますが、仏願の生起本末とは「阿弥陀仏の本願が建てられた理由」「なぜ法蔵菩薩はあなたを救おうと決めたのか」「なぜ南無阿弥陀仏が作られたのか」ということです。

阿弥陀仏の救いの対象はあなたですので、具体的に自分のこととして聞いていきます。

(阿弥陀仏はあなたのどんな部分を救うと誓っているのか?)

 

具体的には、法蔵菩薩が本願を建てようと決めたのは、あなたの罪悪を見たからです。罪悪を犯す者は、次の世(来世)でも苦しい世界に生まれることになる。煩悩まみれの私たちは罪悪をやめられず、くり返し苦界を迷い続けているということです(六道輪廻)。

あなたは日常生活においてどんな罪を犯しているのでしょうか? 家族といるとき、嬉しいことがあったとき、悲しいことがあったとき、ケンカして怒っているとき、食事しているとき、仕事や家事の時間・・・。自分の体と心でどのような罪を犯しているのか? つまり阿弥陀仏が何を救済すると言っているのかを、自分の身の上に、具体的に1つ1つ見ていくのです。

 

 

阿弥陀仏の目にうつった自分の姿を知る

ここまで読んで、中には「いくら六道輪廻や罪悪のことを教えられても、そもそも、それが本当のことだと実感できない」という人もいるでしょう。

そういう人にお伝えしたいことがあります。

実は、聴聞することは阿弥陀仏の目にうつった自分の姿を知ることにもなるのです。(次図)

(阿弥陀仏の目にうつる自分の姿)

 

阿弥陀仏のお話を聴聞をすればするほど、あなたの中に「分からない」「本当だろうか」「実感がない」という、仏教者としてふさわしくない思いがどんどん出てくるかもしれません。

それらの気持ちをごまかさずに見つけていくことは、「阿弥陀仏の目にうつったあなたの姿」が徐々に明らかになることでもあります。

というのも、阿弥陀仏のお話を作り話としか思えない自分、実感できない自分、・・・それら全てが、阿弥陀仏にとっては救済の対象だからです。「このようなお粗末な自分を、かならず仏に成らせると誓っておられるのだな」と聴聞していってください。

 

 

自分の罪悪を具体的に見ていく

阿弥陀仏にとっては、あなたはとても大切な存在です。あなたを苦しみの世界から脱出させよう、と考えておられます。しかしあなたを苦しみの世界から救うためには、あなたが犯す罪を帳消しにして、さらに成仏させるだけの仏道修行をしなければなりませんでした。

阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩だったとき、あなたが作る罪を全て見抜いたのでした。あなたの罪を帳消しにするため、法蔵菩薩は数えきれないほどの長い期間、仏道修行を続けてくださいました。

法蔵菩薩にどれくらいの仏道修行をしていただく必要があったのか? それはあなたの日々の行動・心の動きを調べることで分かってきます。

十悪にもあるように、生き物を殺したり、人を憎んだり、嫉妬したり、悪口を言ったり、・・・そういうことが1つ増えるたびに、法蔵菩薩の仏道修行が増える原因になったのです。なぜならば、もし1つでも罪を見逃してしまったら、あなたは再び苦しみの世界を迷い続けることになるからです。1つも洩らすことはできません。

私たちが犯している罪のことを「法蔵菩薩のご苦労」ともいいます。どういうことかというと、私たちが罪を犯すから、法蔵菩薩が仏道修行をする必要があったということです。もし私たちが罪を犯さず、善いことをたくさんできる存在であったならば、法蔵菩薩が苦労する必要は無かったでしょう。

そして仏教においては、罪悪というのは、行動のみならず心で思うだけでも罪になると説かれます。なぜなら心で思ったことが因となり、そこに何かきっかけ(縁)が加われば、結果が生まれるからです。例えばある物を欲しいと思っていて、もしも周りに誰も見ている人がいなかったら、盗んでしまう可能性も出てくる。憎いと思う人がいたとして、お酒を飲んで口論になったりしたら、殺してしまうかもしれない(実際にそういう事件はしばしば起こっています)。そもそも心で悪い事を思わなければ、罪を犯すことも無いわけです。

毎日の食事で魚・牛・豚・鶏を食べること。人を憎むこと。欲しがること。嫉妬すること。怒ったり恨んだりすること。親に対する憎しみ、仏教の教えを信じないこと・・・。そういう私たちが日々犯している罪の全てを、すすんで肩代わりしたのが法蔵菩薩です。

いったい自分は法蔵菩薩にどういうご苦労をおかけしたのか? 自分のどんな部分が、法蔵菩薩に仏道修行をさせることになったのか? これを1つずつ、1日の行動と心の動きについて、ていねいに調べていってください。これによって、仏願の生起を自分の身に当てはめて聞いていくことになります(浄土真宗の教えを聴聞する人は、必ずこの習慣を身につけてください)。

 

 

具体例として、毎日の食事を考えてみます。

あなたが魚を1匹殺して食べたとします。因果の道理からいえば、殺生の罪を犯したものは、その罪の報いを受けることになります。分かりやすくいえば、1つの命を殺せば、殺されるだけの苦しみが返ってくるということです。

ではここで考えてみましょう。あなたが魚を殺して食べるということは、どういう意味があるのでしょうか?

それはその魚の命を償うために、あなたの罪を肩代わりするため、法蔵菩薩が仏道修行してくださったということです。命を1つ奪うという罪悪・・・、それを帳消しにするだけの功徳(善)を、誰かが積まなければならなかったわけです。あなたは自分で仏道修行をして、その罪悪を帳消しにできますか? 私(久保龍雲)には無理でした。だからこそ法蔵菩薩が立ち上がってくださったのです。

毎回の食事について、上のように仏願の生起を当てはめていってください。数え切れない命が殺されていること、そして私たちがその殺生に関与していることに気付かされるでしょう。

他にも挙げておきますと、

・衣服・・・あの服が欲しい、という強欲。また工場で服を作る過程で無数の命が殺される。
・人間関係・・・嫌いな人に対する憎しみの心。
・浄土真宗の教えに対する思い・・・おとぎ話のように聞える、受け入れられないなど。

といった、あなたが罪悪を生み出してしまうものを、丁寧に1つ1つ点検していってください。十悪・五逆・謗法を自分に当てはめれば、どれほど法蔵菩薩がご苦労されたかが見えてくるでしょう。

 

どのような自己が見えてくるのか

ここまで自分の姿を観察してきて、色んな自分に気付いたかもしれません。真面目に聴聞している人がよく言うのは、

殺生をやめられない。食事で肉や魚を食べたり、蚊や蝿が飛んでいれば殺そうとしてしまう。
無常が分からない。ニュースで死亡事故を目にしても「他人は死んでも、自分はまだまだ死なない」と考えている。
・刑務所に入っている犯罪者を見たら「悪いやつだ」とは思うが、牛や豚や虫を殺してきた自分を悪人とは思えない(罪悪が分からない)。
・罪悪や因果の道理を聞いたことがあるが、苦しい世界に生まれ変わるとは思えない(因果の道理が分からない)。
・真実の心で善いことをしようとしても、見返りを期待する「雑毒の善」しかできない。
・本音をいえば、聴聞するのも念仏となえるのも好きではない(仏教が嫌い)。

などです。

これらは全て仏願の生起であり、阿弥陀仏の本願が建てられた理由です。仏道修行もできず罪悪もやめられない凡夫の姿です。このように自力では輪廻を抜けられないあなたを見て、必ず仏にしてみせると誓ったのが法蔵菩薩なのです。

(※ちなみに上記のように仏教からかけ離れた心を持つ人も、阿弥陀仏の救いから外れることはありません。どれほど仏教嫌いな人であっても阿弥陀仏は見捨てません。仏教嫌いな人がなぜか浄土真宗に興味を持ったり念仏をとなえたりするようになることがありますが、それは阿弥陀仏が全ての衆生に働きかけているからです)

さて、あなたを救うと誓った法蔵菩薩はその後、どのような行動をされたのでしょうか? そしてあなたは、どのようにして仏に成れるのでしょうか。この部分を仏願の本末と言います。

 

 

仏願の本末(実践)

では後半、仏願の本末を自分に当てはめてみます。

迷い続けているあなたを見た法蔵は、五劫もの間にわたって救いの手段を考えました。そして救いの手段を思いついた法蔵は、48の誓願を起こされました。

法蔵菩薩は永遠のように長い間、真実の心で仏道修行を続けました。

罪悪と煩悩を抱えたあなたを仏にするには、誰かが代わりに仏道修行をして膨大な功徳(善)を積む必要があります。その役目を買って出たのが法蔵菩薩です。

そして今から十劫の昔、法蔵はついに悟りを開いて阿弥陀仏となりました。阿弥陀仏の救いが完成したのです。

あなたが生まれるべき極楽浄土の建設も完了しました。極楽浄土に生まれた者は、すぐ仏の悟りを開きます。そうして仏に成った者は、ふたたび迷いの世界に戻ってきて、今度は他の苦しむ者たちを自由に救います。

この阿弥陀仏の本願を分かりやすくいえば「南無阿弥陀仏を称えるものを極楽浄土に生まれさせ、仏に成らせる」というものです。

南無阿弥陀仏は迷い苦しむ者を成仏させる力をもった宝です。

そのため阿弥陀仏は、今も、私たちに南無阿弥陀仏を称えさせようと働きかけておられます。

 

南無阿弥陀仏をとなえさせる力

阿弥陀仏の本願は「念仏となえる者をかならず極楽往生させ仏に成らせる」というものです。

しかし・・・念仏が嫌いな者は、当然ですが、念仏をとなえようとはしないでしょう。

たとえば「無常も分からない、罪悪も実感できない、念仏も嫌いだし仏願も信じられない・・・」という人間は、いくら念仏せよといってもとなえようとしないはずです。なのですが・・・、不思議なことに、そういう仏教嫌いな人間の口からも、念仏が出ることはよくあるのです。

それは阿弥陀仏の働きかけが現実にあるからです。「あなたを必ず仏に成らせる」と誓ってくださった法蔵菩薩は、私たちに念仏をとなえさせることまで計画しておられたのです。

 

あなたを必ず仏にする

繰り返しになりますが、まずは仏願の生起・本末を、正確に自分の身の上に聞いていってください。

もしかしたら、仏教とかけ離れた自分を発見するかもしれません。仏教に対する反逆的な気持ちすら見つかる時もあります。その場合は、そのような救われるはずの無いあなたがいるからこそ、南無阿弥陀仏がつくられたのだということです。

小声でも口の中だけでもいいので、「南無阿弥陀仏」ととなえては、自分にかけられた願いを聞いていきます。

「念仏となえる者を成仏させる」という願いを、自分の身に当てはめていく。それは南無阿弥陀仏ととなえながら、法蔵菩薩のご苦労を自分の身の上に見つけていくこと。そして「かならず仏に成らせる」という願いを、自分の口から出る「南無阿弥陀仏」の中に聞いていくことです。

「仏願の生起・本末を自分の身の上に当てはめること」・・・浄土真宗の教えを聴聞する人は、必ずこれを身につけてください。

 

7-4 獲信者を探し、不審を問いましょう

これまで仏願の生起・本末を聞いてきた人の中には、疑蓋を外してもらったという人もいるでしょう。しかしまだ、不審に思うことが出て来るかもしれません。その場合、信頼できる獲信者を探して積極的に質問しましょう。

浄土真宗を伝える団体としては、日本の京都に拠点を置く西本願寺( 本派本願寺 )や東本願寺(真宗大谷派)などを初めとした、真宗十派が有名です。親鸞聖人の教えを守る10団体であり、いずれも他力信心を最重要視し、阿弥陀仏の本願の素晴らしさを広めています。日本だけでなく海外にも所属寺院がありますので、それらの寺院で獲信者を探すのも有効でしょう。

私たちの命はいつ終わるか分かりません。不審を問うならば、なるべく早い方がよいです。恥をかくとか相手の迷惑になるとかは、この世だけのことです。再び輪廻を迷っていくことの方が一大事です。

たとえば明日死ぬとしても、「とうとう極楽に生まれ仏にならせてもらえるのだ」と喜んで死んでいけるかどうか。もし疑蓋が外れていなければ、モヤモヤとしたわずかな不安が感じられるものです。

他力信心は「わずか毛の先ほどの疑いすら無い」と説かれます。疑蓋が外された人ならば、仏願の生起本末を聞いて全く疑いがありません。いつ聞いても疑いが無いのです。

未信者は当然ですが、自分を獲信者だと思っている人も、阿弥陀仏の本願に対して疑いが晴れたかどうか、よくよく確認してください。

わずかな疑いでもあれば、正直に不審を問いましょう。

 

ここまで読んでくださった方へ

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あなたが浄土真宗を理解するのに、少しでも役立てたならば、これほどうれしいことはありません。

疑問がある方は、サイドバーのフォームからご連絡ください。

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