第3章 浄土真宗が成立するまで
浄土真宗は仏教の1つですので、この章ではまず、仏教の基本について説明します。インドで生まれた仏教が、日本に伝わって、浄土真宗として体系化されるまでを見て行きます。
3-1 仏教を開いたお釈迦さま
親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗は、仏教の一派です。そして仏教は2500年前、インドでお釈迦さまが広めた教えです。
仏教には様々な宗派がありますが、どれも目的は同じです。それは「仏になる」というものです。では、仏になるとはどういうことでしょうか? これは「悟りを開く」・「解脱」・「成仏」とも呼ばれ、一切の苦しみから自由になった境地のことです。
仏教の思想を理解するためには、どのようにしてお釈迦さまが悟りを開いたかを見てみる必要があります。なお「お釈迦さま」というのは尊称であり、元々はゴータマ・シッダールタというお名前でした。
北インドに生まれた王子
ゴータマ・シッダールタは紀元前5世紀に、ルンビニーという場所で生まれました。北インドの小国・シャーキャの王子でした。
シッダールタは将来の国王として期待され、宮殿や豪華な食事など、優雅な暮らしをしていました。学問や運動・武芸においても優秀だったと言われています。
何不自由なく生活していたシッダールタは、たくましく成長して美しい女性と結婚し、子供も生まれました。つまり私たちが手に入れたいと思っているような幸せを、すでに手に入れていたのです。
しかしシッダールタは、人生における避けられない苦しみを知り、その解決を求めて29歳で出家し、修行を始めます。シッダールタが知った苦しみは以下のようなものでした。
・生老病死・・・人間に生まれたからには、病気で苦しみ、老いて、最後は必ず死ななければならないこと。
これらは、現代の私たちも抱えている普遍的な苦しみだと言えるでしょう。
ちなみに、仏教においては他の苦しみも説かれています。
・生活上の苦・・・嫌いな人に会わないといけない、愛する人と別れる時が必ず来る、欲しい物が手に入らない、自分の心身が思い通りにならない、などの苦しみ。
・輪廻・・・苦しい人生を終えて死んだ後、ふたたび苦しい世界に生まれ変わること。
シッダールタが目指したのは、これらの苦しみが全く無い境地(悟り)でした。
修行の道をさがす
家族・名誉・地位・財産を捨てたシッダールタは、東南500キロの場所にあるマガダ国に行きました。そこでアララ仙人とウッダカ仙人に教えを乞いましたが、いずれの方法でも真の悟りは得られないと見切ったシッダールタは、彼らの元を去りました。
苦行を始める
次にシッダールタは山林に移動して、6年間にわたる苦行を行いました。断食・不眠の行・息を止めるなど、身体が骨と皮だけになるほど激しい修行でした。それでも悟りは得られませんでした。
シッダールタの苦行は激しいものでした。長く息を止めて仮死状態になるなど、常人には真似のできない修行をしましたが、悟りは開けませんでした。
苦行を捨てる決心をしたシッダールタでしたが、すっかり体力を失っていました。その後、ネーランジャー河で沐浴して身体を清めたシッダールタ。そこへ近所の村娘スジャータが来て、乳粥を供養しました。それを食して体力を回復したシッダールタは、悟りを開くために菩提樹という木の下に座りました。
仏に成る
35歳になったシッダールタは、苦行では解脱できないと判断しました。その後ネーランジャー河の近くに移動し、村娘スジャータから乳粥の供養を受けて体力を回復し、菩提樹の下に座りました。そして「悟りを得られなければ二度と立たない」と決意し、瞑想に入ったのです。
瞑想している間、多くの悪魔がシッダールタの邪魔をしようとした、と言い伝えられています。
そして瞑想に入ってから七日目の朝、ついにシッダールタは仏の悟りを得ました(成仏)。
成仏したシッダールタのことを、尊敬を込めて「お釈迦さま」「釈尊」「釈迦如来」などの名称でお呼びしています。
全ての苦しみ・執着・煩悩から自由になったシッダールタは、シャーキャ族の聖者という意味で「釈迦牟尼・しゃかむにぶつ」とも呼ばれます。35歳で悟りを得てから80歳でこの世を去るまでの45年間、ガンジス川中流域を中心として、お釈迦さまは仏教を伝え続けました。
仏になると一体どうなるのか
「成仏」の境地はどのようなものなのでしょうか? 成仏すると、執着から自由になり、自分と他者の区別が無くなります。
例えばお金に執着していると、お金を盗まれたら苦しみます。身体に執着していると、身体を傷つけられたら苦しみます。人間関係に執着していると、人間関係が思い通りにいかなければ苦しみます。成仏するとは、そのような執着から完全に自由になるということなのです。
そのため、たとえ泥棒に財布を盗られても、財産への執着が無いので怒りの心は起こりません。身体への執着が消えているので、たとえ他人から刃物で殺されたとして「あなたも悟りを得てくださいね」と相手を慈しみながら死んでいきます。
一切の苦しみから解放された理想の境地であるため、仏教の全宗派が成仏を目指しています。
仏になるための2つの門
釈尊が説いた教えの内容は一つではなく、多岐にわたります。これは相手によって説き方を変えたことが、その主な理由だといわれています。
例えば優れた智慧を持つ僧侶に難解な説法をすることもあれば、子供を亡くした母親に教えを説く場合もありました。つまり相手の能力や苦しみの度合いによって説き方を変えたということで、これを対機説法(たいきせっぽう)といいます。
そのため教えを記した経典は1つではありません。出家した者が戒律を厳しく守ることを重視するものから、在家の大衆(一般人)が救われることを重視する教えまで、さまざまな内容の経典が存在します。
そして一口に仏教といっても、いくつもの宗派が存在し、それぞれのやり方で解脱を目指しています。一般人でも救われることを重視した一派は「大乗仏教」と呼ばれます。大乗とは大きな乗り物という意味で、より多くの人々が救われるという意味です。この流れが次第に洗練され、親鸞聖人によって浄土真宗として体系化されました。
仏教諸宗派の教えは、それぞれ特徴があります。山道を歩き続けて心を清めて解脱を目指すものもあれば、真冬に冷たい水を浴びるもの、または瞑想によって解脱を目指すものもあるのです。
このように仏になるための教えはいくつもあるのですが、大きく2つに分けられます。それは、
・自分の力によって難しい悟りを得る自力門
・自分以外の力によって救ってもらう他力門
この2つです。
厳しい仏道修行をできる力のある人は、自力門を選ぶことができます。ですが、これはとても難しい道です。丈夫な身体と強い精神力があり、家族も財産も捨て、死を覚悟する決意が必要なのです。
千日回峰行をする修行者
(写真:1954年7月発行の国際文化情報社「国際文化画報」より)
例えば天台宗の千日回峰行という修行では、山道を毎日数十キロメートル、7年間かけて合計4万キロ(地球一週分)を歩きます。断食・不眠の行を含む厳しい修行です。非常に過酷なため、身体がついていかずに死亡してしまった人もいるといいます。まさに命をかけた修行です。
厳しい仏道修行ができない者であっても、救われる道は残されています。
それが他力門なのです。
3-2 親鸞さまを救った他力の教え
親鸞聖人を救った浄土真宗は他力門であり、阿弥陀仏の力によって仏にならせてもらいます。自分の力は関係ないので、身体が弱い、精神力が弱い、出家する決意ができないという人でも救われます。
では、どのようにしてこの教えが伝えられたのでしょうか。
親鸞聖人は、インドから日本まで他力の教えを伝えてくださった代表的な人物として、7人の僧侶を挙げています。彼らは七高僧(しちこうそう)と呼ばれています。(下図)
上の図にあるように、インド→中国→日本という流れで、他力の教えが伝えられました。順番に説明しますと、以下のようになります。
龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ・西暦250年頃)・・・南インド
天親菩薩(てんじんぼさつ・西暦400年頃)・・・インド北西部
曇鸞大師(どんらんだいし・西暦476~542年)・・・中国
道綽禅師(どうしゃくぜんじ・西暦562~645年)・・・中国
善導大師(ぜんどうだいし・613~681年)・・・中国
源信僧都(げんしんそうず・942~1017年)・・・日本の奈良出身
法然聖人(ほうねんしょうにん・1133~1212年)・・・日本の岡山出身
七高僧はどなたも、厳しい仏道修行ができない人々(凡夫・ぼんぶ)に対しては、他力の教えによって救われることをお薦めしておられます。
親鸞聖人に他力の教えを伝えた法然聖人
七高僧の中で親鸞聖人が最も大きな影響を受けたのは、やはり法然聖人でしょう。
親鸞聖人は9才で出家してから20年間、比叡山で仏道修行をしていました。しかしながら悟りを開くことはできなかったため、救いを求めて法然聖人を訪ねました。
法然(1133年 – 1212年)
(写真:知恩院が所蔵する『披講の御影』)
法然の父は漆間時国(うるまのときくに)で、法然が9歳の時、父は敵から夜に攻撃された傷が元で死んでしまいます。一説には父は「敵に仕返しをしてはいけない」と遺言したといいます。
比叡山で修行するため、法然は15歳で出家しました。学問に優れた僧侶となり、「智恵第一の法然房」と称えられました。その後も求道生活を送り、43歳の時に『観無量寿経疏』の中の一文を読んで、阿弥陀仏の救いにあずかりました。 法然は比叡山を下りて、京都の吉水において凡夫でも救われる教えを説きました。
43歳で他力の教えに救われた法然聖人は、京都の吉水を拠点にしました。出家も仏道修行もできない一般人が救われる教えが、法然聖人によって広められていたのです。
仏教は6世紀に日本に伝来しましたが、基本的には鎮護国家のためのものでした。そして救いの対象は、貴族・公家・皇族など、身分の高い人々だったのです。
しかし他力の教えは、身分の高低・才能の有無・性別など、何も障害になりません。救いを求めた多くの民衆が、法然聖人の元に押し寄せました。また、真剣に仏道修行をして悟れなかった僧侶たちも、法然聖人から教えを受けました。その一人が親鸞聖人だったのです。
3-3 阿弥陀仏の救い
では親鸞聖人は、法然聖人からどのような教えを聞いたのでしょうか? それは「阿弥陀仏」と呼ばれる仏様による救いでした。
阿弥陀仏(木像)
(写真:ブラジル・サンパウロの一般家庭で撮影)
阿弥陀仏は元々、ある国の王だった人物です。その国王はとても慈悲深い心を持っていました。そしてある時、世自在王仏という仏様の説法を聞いて感激し、国王は出家しました。
出家してからは法蔵(ほうぞう)と名乗りました。法蔵はとても優れた修行者であり、全ての生き物を救いたいという願いを持っていました。
そして法蔵は、ある願いを建てました。それは「善行のできない衆生も、どれほど劣った衆生でさえも、苦しみの世界から抜け出させて仏にしてみせる」というものです。
法蔵は世自在王仏の助言を参考にしながら、長い時間をかけて救いの手段を考えました。そして救いを実現させるため、永遠とも言えるほどの長期間、仏道修行に励みました。
ついに願いを成就した法蔵は、悟りを開いて阿弥陀という仏になりました。
仏様といえば、仏教を開いたお釈迦さまもそのお一人です。しかし仏様はお釈迦さまだけではありません。たくさんの仏様がおられる、と仏教では説かれます。つまり執着や煩悩を離れて悟りを開いた方々が、たくさんおられるわけです。
その中で「仏道修行のできない煩悩だらけの衆生をも仏にしてみせる」と誓ってくださった方がおられます。それが法蔵菩薩(のちの阿弥陀仏)なのです。
仏教で仏になる(悟る)といえば、本来ならばあなた自身の力で煩悩(苦悩を生む悪い心)を克服する必要があります。その結果、この迷いの世界から抜け出るわけです。逆にいえば、仏道修行のできない人にとっては、自力で悟ることは不可能ということです。
しかし阿弥陀仏は、わざわざ衆生の分の仏道修行まで代わりにしてくださいました。長い期間をかけてどうすれば救えるかを考え、永遠のように長い間ずっと仏道修行をしてくださったのです。
そのようにしてあなたを救う手段を完成されました。法蔵菩薩のおかげで、あなたは仏道修行をしなくても仏になることができるわけです。
ちなみに、阿弥陀仏の救いにあずかった人々を獲信者(ぎゃくしんしゃ)と呼びます。法然聖人・親鸞聖人・妙好人はすべて獲信者です。
(※阿弥陀仏の願いについて後のページでくわしく説明します)
他力信心
浄土真宗においては、阿弥陀仏から他力信心(たりきしんじん)を得ることがそのまま悟りにつながります。他力信心とは、阿弥陀仏の本願を疑いなく信じる心です。
阿弥陀仏の本願とは、
「南無阿弥陀仏と称える者を、極楽浄土に生まれさせて成仏させる」
という約束のことです。
”南無阿弥陀仏と称える”ことを念仏ともいいます。これは口で「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と言うことです。
どれほど劣った者であったとしても、善行ができなくても、問題はありません。阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏と称える者を、極楽浄土に生まれさせて成仏させる」と約束しておられるのです。これを阿弥陀仏の本願といいます。この本願を疑いなく信じる心(他力信心)を得ることによって、私たちは成仏することができます。
しかしここで、非常に誤解されやすい点があります。それは本願を疑いなく信じるといっても、自分の力で信じるわけではないということです。
では他力信心はどのようにして得られるのか? 他力信心は阿弥陀仏から与えられるものです。私たちの力は一切必要ありません。他力信心を与えられることを獲信(ぎゃくしん)といいます。
ちなみに、他力信心はとても特殊なものであるため、獲信する人はとても少ないと昔から言われています。
救われる必要はあるのか
ここまで阿弥陀仏の救いについて見てきました。
しかし、ここで次の疑問を持っている人もいるかもしれません。
「阿弥陀仏はなぜ私を救いたいと願ったのか?」
「救ってほしいと頼んだ覚えはない」
「そもそも救われる必要などあるのだろうか?」
この疑問に答えるために、次章で「なぜ阿弥陀仏があなたを救いたいのか?」を説明します。